たいらくんの政治経済。

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2014/06/03

グローバリゼーションはテロリズムの根源か



ナイジェリア北東部に位置するボルノ州で、4月15日未明に200名以上もの女子生徒が誘拐された凶悪なテロ事件の発生から1ヶ月半余りが経過した。一部の生徒は、犯行グループの隙をついて脱出に成功しているものの、依然として多くの生徒が死の危険と隣合わせの悲劇的な環境下に置かれている。最新の報道では、ナイジェリア軍が既に犯行グループであるイスラム過激派「ボコ・ハラム」のメンバーと誘拐された女生徒の所在地を把握しているとされているが、重武装の犯行グループが支配する地域には軍でさえも不用意に近付けず、文字通り、手も足も出ないのが現状だ。先月、ボコ・ハラム側が公開したビデオ映像(http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-27583030)には、誘拐された女生徒とみられる数十名もの少女の姿が撮されており、少なくとも誘拐された少女の多くは命に別状はないとみられているが、詳細は未だ不明のままだ。


今回の誘拐事件に関与しているイスラム過激派「ボコ・ハラム」は、西洋の教育は罪という意味を持つ。「ボコ(Boko)」は、地域語のハウサ語で欧米等の西洋諸国の教育システムを指し、「ハラム(Haram)」は禁忌を示す語句。「ボコ・ハラム」と いう名称は、組織の正式名称である「宣教及びジハードを手にしたスンニ派イスラム教徒としてふさわしき者たち(Jamāʻat Ahl as-Sunnah lid-daʻwa wal-Jihād)」よりも広く知られた通称的な名称だ。2002年に設立した「ボコ・ハラム」は、イスラム教の影響力の強いナイジェリア北部を中心に、隣国のカメルーンやニジェールにも版図を広げている。2009年以降、ナイジェリア国内だけでも2000名以上もの殺人や誘拐事件を引き起こしたとみられ、残虐性の強い武装組織の1つとして知られる。 古くからのキャラバン貿易の影響で、ナイジェリア国内ではイスラム文化が広く浸透してきたが、ポルトガルやイギリス等の西洋諸国による植民地時代を経て、海岸に面した南部州を中心にキリスト教徒も多く存在している。こうした背景から、イスラム教徒が大半を占める北部州とキリスト教徒中心の南部州との間での宗教的対立が頻発しており、国内の石油資源の恩恵を比較的大きく受けてきた豊かな南部と経済発展に取り残されてきた北部との経済格差の問題も相まって、国を南北に二分する複雑で熾烈な地域対立が続いてきた。

「ボコ・ハラム」が此程までに欧米型の教育制度に拒絶感を示すのは、旧宗主国による非人道的な奴隷交易と一方的な資源搾取の歴史への抵抗ともみられているが、多くは、第二次世界大戦以降、急速に進むグローバリゼーションに対するカウンターアクションとしてのテロ活動と分析している。ナイジェリアは、国内に存在する豊富な石油資源を中心とした天然資源の輸出で多額の利益を上げてきたが、欧米を中心とした先進国の支配する国際市場で真っ当な対価を得てきたとは必ずしもいえない状況にあった。天然資源に依存した石油価格の変動に左右されやすい経済構造に加えて、前述した地域対立等の脆弱な社会構造の影響もあって、1967年と1981年にはそれぞれ-15.7%と-13.1%もの深刻なGDPのマイナス成長を経験した。

「ボコ・ハラム」を含むイスラム過激派にとって、グローバリゼーションは不要な混乱と崇高なイスラム文化を汚す悪魔でしかない。暴力的な手段に訴えてでも、日常世界の規範であるイスラム教の教えを守り、伝統的な生活様式を維持しようとする動きは、ナイジェリアに限ったものではない。こうした地域に根付いた文化の保護と伝統的・宗教的価値観の維持といった目的は、世界各国で活動を続ける過激派組織のテロ活動の動機付けとして主要な役割を果たしてきた。国際政治学の世界においても、各地で頻発するテロリズムの要因を文化的価値観と経済的格差の2つの視点から解き明かそうとする動きが主流となっている。立場が変われば、人々の生活水準を大幅に向上し、これまでになくヒトとモノの国際間移動を発達させてきたグローバリゼーションのメリットも、長らく人々の生活を支えてきた文化的・宗教的価値観の弱体化と情け容赦ない欧米化といったデメリットの性格を強めることになる。

グローバリゼーションを脅威を捉える人々にとって、暴力は、欧米の圧倒的な物質主義的文化に対抗し、自らの精神的支柱となってきた文化的価値観の保護を達成する上での唯一の手段となる。もっとも、「ボコ・ハラム」を含むイスラム過激派が抱える最大の矛盾は、本来保護の対象となるべきイスラム教徒が、その暴力的な手段の最大の被害者となっている点だ。パキスタンやインド、中東諸国等で多発する一連のテロ事件で死者の大半はイスラム教徒であることに異論はないだろう。

今回、「ボコ・ハラム」が引き起こした誘拐事件は、対象となった女子生徒の通う学校がキリスト教系であったために、被害者の大半がキリスト教徒であるが、教師の証言では、誘拐された生徒の一部にイスラム教徒も含まれていたという。「ボコ・ハラム」が公開したビデオの中で、武装組織のメンバーが誇らしげに「全てのキリスト教徒を本来あるべきイスラム教徒へと改宗させることに成功した」と訴えるシーンもあるが、組織全体が根本的に抱える矛盾と破綻した論理に直面できる日が果たしてくるのだろうか。

西洋の教育を厳しく否定したボコ・ハラムは、女生徒に対しては教育そのものを取り上げようとしている。武装組織の影響を強く受ける北部では、コーランの授業しか取り扱わないイスラム系の学校も少なくない。少なくとも、ナイジェリアが今後安定した経済成長を達成する上で必要不可欠となる英語や数学に長けた人材の育成機会が大きく失われていることは、ナイジェリアにとって耐え難い損失となるだろう。そもそも、経済的に恵まれない北部でこうした偏った教育制度を続ければ、今後ますますその格差が広がってしまうことは想像に難くない。

知性と学びの欲求を肯定するコーランの教えさえも踏みにじるイスラム過激派の曲折した宗教解釈は、アフリカで最も可能性に秘めた国の1つであるナイジェリアの未来を狂わせかねない。悲劇的なのは、「ボコ・ハラム」によって高度で広範な教育の機会を失ったナイジェリアの若者達もまた、「ボコ・ハラム」のメンバーとして更なる破壊活動へと加担してしまっているといった悪循環だ。伝統的な文化を守り、維持していくという考え方自体は尊重されるべきものだが、本来の目的と教義に反しながら暴力的な手段に打って出る行為に、一体なんの意味があるといえるのだろうか。

眠れない日々を送る誘拐被害者の両親らの願いが叶い、無事に彼らの娘を取り戻せる日が訪れることを祈りたい。

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