たいらくんの政治経済。

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2014/04/28

「英語なんてやればできる!」は嘘



言わずと知れた東進ハイスクールの名物講師、安河内哲也先生の名台詞は嘘かもしれない。TOEIC990、英検1級の他にも、韓国語能力検定1級も取得済み。その天才的な語学力を持つ安河内先生が世に放ったセンセーショナルな台詞は、多くの受験生の注目を浴びた。 

誰だってできる、という言葉に惹かれて東進のテキストを開いた人は少なくないはず。どのテキストでも必ず書かれているのは音読の重要性。確かにこれは新しい視点。中学や高校の英語教師で音読の重要性を殊更訴える先生がどれ程いただろうか。当時の授業を思い返してみても、ただひたすら英単語の意味をノートに書いては問題演習を解いただけの日々。 

グリーン先生にどう見てもペンにしか見えない物体をわざわざ「これはペンですか?」と尋ねることから始まる英語学習は、次第に増えていく使いどころのよく分からない英単語の暗記と非効率すぎて覚える気すら起きない英文法へと発展していき、最後には日本語なら絶対に読まないつまらなすぎる長文読解に続いていく。 

英語の成績はほぼペーパーテストで決まり、音読なんて作業を真剣にした覚えが全くないのだ。流石は東進ハイスクールが誇る人気講師、目の付け所が全然違う!と関心してしまう。だが、安河内流音読学習を続けていくうちにあることに気付いてしまう。それは、単にこれまでの英語学習に音読という作業を加えただけじゃないかということ。視覚的に全く理解できない発音記号を睨んでもいつまで経っても正しい発音ができない。たまに授業で先生にテキストを読み上げるように言われても、せっかく覚えたそれらしい発音で読むことは絶対にしない。流暢な発音はクラスの笑いものにされ、意図的にカタカナ英語で読むことがクラスの英語の授業における暗黙のルールになってしまう。 

結局中学高校の6年間を通して得た英語力の内訳の大半は英単語で、後はちょっとした英文法で占められてしまう。でも、面白いことにこれさえあればセンター試験はもちろん東大の2次だって合格点がとれてしまう。なんたって誰も英会話力や長ったらしいライティング能力を測ろうとしないからだ。殆ど成績にもテストの点数にも影響しないスピーキング力とライティング力は置いてけぼりにされて、ひたすら特訓した「静かに速く読む」英語力だけついてしまう。 

まるで身体の一部だけ異常にマッチョになったポパイのような学生がこの国で大量に生産されていく。就活で英語力の基準として積極的に採用されているTOEICだって、話す力や書く力は全く評価されてないわけだから、大半の学生はスピーキングとライティングを伸ばす必然性を理解できないし、むしろ賢い学生は難関大合格に不要なスキルを早々に見捨ててしまう。 

その結果、外国人学生と総合的な英語力を比較してみたり、他国の学生と議論させるとずーっとシェイクスピアをカフェで読んでるかのように黙ったままの日本人学生が笑いものにされてしまう。結局、ただただ自己流で音読をして授業に望んだって身につくのは「大学受験に必要な英語力」それは決して英語そのものとイコールの関係にはならない得体の知れない能力でしかない。 

ならなんといえばいいか。「英語なんて言葉なんだ!こんなものやれば誰だってできる」というよりも、「大学受験に必要な英語なんてリーディングとリスニングなんだ!他のスキルを無視ってひたすら音読すればこんなものやれば誰だってできる」といった感じ。語呂が悪すぎて15秒のスポットCMに採用されるはずのない相当酷い代物になってしまう。 

結局、ライティングとスピーキングの能力不足がボトルネックになってしまって、本来の意味で英語を使いこなせると胸を張って言える学生がいなくなってしまう。せっかく英語を試験問題として課すなら、もっとバランスのとれた出題はできないものかと考えてしまう。 

日清のCMじゃないけれど、How are you?にI'm fine thank you.と反射的に答えてしまう英語教育に深刻な問題があることは一目瞭然なのだ。いつまで経っても明治時代から変わらないただただ黙ってする英語学習が、もうそろそろ不十分なものであることを認識して、成績の評価基準から改めた方がいいのかもしれない。せめて英語における4大スキルの(LRSW)をそれぞれ25%ずつ占めるように評価するテスト形式にするだけでも、学生全体の英語力は飛躍的に伸びるのではないかと思うのだ。

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