たいらくんの政治経済。

BLOG

2014/04/28

異国の地に売られた少女の悲惨な人生



チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅。インド最大の都市、ムンバイにあるこの駅は、壮麗なヴェネツィアゴシックの駅舎で有名だ。

中央改札から出て右側の大通りでオートリキシャを止めて、運転手にカマシプラ地区に向かって欲しいと告げた。案の定、運転手は乗車前に料金を請求してくる。英語の分からないフリをしてとりあえず乗車すれば、運転手も渋々リキシャに跨る。

埃と塵だらけの道路を猛スピードで駆け抜けて、15分程で着いた。ポケットから30ルピーを出すと、運転手は笑いながら両手で100ルピーくれとジェスチャーする。僕は残念そうな顔をしながら30ルピーしか手持ちにないと伝えると、不満そうに受け取った。

カマシプラ地区には、インド最大級の売春街がある。それまでインドの壮大で幻想的な風景ばかり見てきた僕にとって、美しさとは真逆の世界だった。そこは、焼肉用の焼き網のように、いくつもの細い路地が平行に並んでいる。

少し、奥へと進むと見えてくる。通り沿いの建物の壁に寄りかかった何十人もの女性の姿。その後ろにまだ幼そうな少女達が無表情で僕を見てくる。女性は、僕に近づいてきて「500ルピーでどう?」と尋ねてくる。その女性の声は少しも耳に入らない。国連の報告書で読んだ世界が、現実に存在したことにショックを隠せなかった。

そんな僕の姿をみて、その女性は語気を強めて少しずつ値段を下げてきた。450、400、2人で400。僕は立ち止まって、しばらく追いかけてきた彼女に500ルピー札を2枚渡して、また歩き続けた。異様な雰囲気に包まれたその通りを歩きながら、救いのない世界の実態を目に焼きつけることにしたのだ。

急激に成長するインドの大都市では、他の産業と同じように性産業も急拡大している。売春街で働く労働力の需要が高まったことで、性産業に絶えず奴隷を供給してきたインド人ブローカーは国内で賄いきれなくなり、隣国のネパールに目をつけた。

アジアの最貧国の1つ、ネパール。毎日の食事を世話する収入すらないネパールの村に住む人々は、ブローカーの嘘を見抜くことができない。愛する娘が少しでもいい生活ができるのなら、と信じてブローカーに全てを託すのだ。山を越え、国境を越え、長い時間を経てようやく辿り着いた終着の地で幼いネパールの少女達を待っていたのは地獄だった。

こうして連れてこられたネパールの少女の多くは16歳に満たない。日本円にして1回500円ほどで、多い時には1日に25人もの相手をさせられる。不衛生な売春街での行為は身体を蝕み、少女の多くは結核やHIV、そして深刻なSTDに冒されている。言葉も通じない異国の地に連れてこられた少女に、故郷に帰る術はない。

もっと残酷なのは、たとえ奇跡的に故郷に帰れたとしても、村人達は受け入れてくれないのだ。外国人に何度も何度も犯された少女はもはや純粋な存在ではなく、村の恥だとされる。地獄のような日々から解放されても、彼女達に帰る場所などないのだ。

こうした少女達を売春街から解放し、社会復帰する上で必要な教育を施すNPOは少なくない。最も有名なレスキュー・ファウンデーションは、これまでに1000人を超える少女を保護してきた。こうしたNPOは、故郷の村で以前と同じように生活を立て直すことができなくなった彼女達に、人生の新しい選択肢を与えようとしている。

もっとも、それが少女達にとって幸せなのかはわからない。

0 件のコメント:

コメントを投稿