たいらくんの政治経済。

BLOG

2014/04/28

教育の機会均等は達成可能?



先月24日に放送されたテレ朝系の人気番組「ビートたけしのTVタックル」でのたけしの発言が話題になっている。番組中でたけしは、「結局、貧乏人のせがれは、あらゆるチャンスがない」「生まれながらに逆転できないっていうシステムができたんじゃないか」と、格差社会における問題点を指摘した他、自身が以前別番組で共演した東大生の親が高収入である点や東大のOBOG等恵まれた環境であることも明かした。 

事実、 東大家庭教師友の会が2009年に実施したアンケート調査によると、51.8%の学生の親の年収が950万円以上であることが分かっている。一方で、厚生労働省が昨年発表した国民生活基礎調査では、1世帯当たりの平均所得は548万円。つまり、半数以上の東大生は世帯平均所得の倍近く稼ぐ裕福な家庭に生まれた子供ということになる。同様な傾向は、東大に限らず国公私立の上位校や医学部等学費の高い難関校や専門校等でも一律に見られる。 

日本では不幸なことに、法律の文言では美しい理想が述べられていても現実は相当な困難を伴う状況であることが少なくない。教育基本法3条では、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」と社会的身分や経済状況が悪くとも能力に応じた教育が保証される旨明記されているが、現実はそう上手く機能していない。 

教育と社会階級の研究で有名なフランスの社会学者、ピエール・ブルデューはかつて、日常的規範(Habitus)の認識率と文化資本(Capital)の保有率の高い学生ほど高学歴であることを統計的に証明している。これは、単なる高所得者の家庭に生まれた子供が高学歴というのではなく、高所得者が持つ豊富な知識や経験、その他所得格差がもたらす社会階級的差異が子供に継承されることで、その子供も同様な高い社会的地位を獲得するというもの。ブルデューは、多くの高所得者がもつ特権的な資本を「社会資本」と名付け、更に社会資本の世代間継承に教育機関が果たす重要な役割についても言及している。 

ブルデューのいう日常的規範とは、所得の多い家庭の人々が日常生活で経験する様々な事柄一般を指す。例えば、日本を含む多くの国々では高所得者層ほど毎日の食事に関する栄養学的知識や食生活のバランスや運動頻度の水準が高いことも日々の経験に基づく日常的規範に起因する。他にも、英国で特に顕著なように、高所得者層ほど高級紙や経済紙を熱心に読む一方で、低所得者層ほどタブロイド紙やゴシップ雑誌を好む。こうした日常的規範の差異による家庭環境の違いは、子供の成長にも大きな影響を与えるというのがブルデューの主張だ。 

もっと分かりやすい例として、日本人の多くが苦手とする英語力と収入との関係が挙げられる。英語能力が個人の所得に与える影響を計量経済学的に分析した東京工業大学大学院社会理工学研究科の古谷直紀氏の論文では、「英会話力と英読解力共に所得に正の影響を持つ英語能力である」と結論付けられている。 

結局のところ、高水準の日常的規範と文化資本を有する高所得層の子供ほど高等教育にアクセスしやすくなるという構図は、教育基本法が目指す理想と乖離しているといえる。十分な天然資源を持たず、長く化石燃料の多くを海外からの輸入に依存している日本では、高度な技術水準を維持することで世界最高水準の経済力を維持してきた。潤沢な教育資源を活用した日本人全体の教育水準向上は、こうした高い技術水準を維持する上で不可欠な要素となるはずだが、国の富は国民に広く分配されるどころか、高所得者層に還元されている。 

こうした高所得者層の子供がまた高所得者層となる構造を、ブルデューは文化的再生産(Cultural Reproduction)と呼んだ。グローバル化が進み、国際間競争が激化する中で、急激に所得格差が広がる日本。最も成功した社会主義国的な国家で一億総中流とまで言われた日本は、アメリカと同様、不平等なスタートラインに無理矢理立たせられる過激な競争社会へと変貌しつつあるのもしれない。 

ではどうすればこうした状況を回避できるのだろうか。資本主義の信奉者であれば、問題にすらしないこの社会的格差を是正するとすれば、政府による教育セクターへの積極的な投資以外方法は考えられない。急激な高齢社会化による労働者不足が予想される日本では、労働者1人あたりの生産力向上が達成すべき課題の1つとなる。そのためには、たとえ経済的に恵まれない子供たちであっても高等学校や大学を含む高等教育へのアクセスが保証されなければならない。 

ところが、政府や地方公共団体による無償の教育制度は貧相で、貸与型の奨学金制度も少ない。公立の取り立て組織と揶揄される学生支援機構の支援制度も、経済基盤の弱い家庭の子供の将来的負担になるばかりで、実質的に学生を支援しているのかは甚だ疑問だ。 

改善のヒントは、世界で最も高水準の教育システムを採用している北欧諸国の制度にある。無償の教育制度と支援制度の整った北欧諸国は、子供の知力も高い。世界の15歳児童を対象とした学力テストPISAの上位には必ずといってよい程ランクインする北欧諸国は、どれも教育セクターへの出費が国費の多くを占める。政府主導の多額の教育への投資は、国を豊かにし、国民全体に還元される。比較的国民1人あたりの所得が高額なヨーロッパでも突出して高い水準の国民所得を維持する北欧諸国は、まさに日本の教育が目指すべき目標なのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿